標高781mの八乙女山には今から400年余り前に、瑞泉寺の出城があったと伝えられている。
瑞泉寺と砺波の増山城主神保長職が争っていたころ、神保氏は瑞泉寺を滅ぼそうとして、越後の上杉謙信に助けを頼んだ。上杉謙信はさっそく八乙女山の瑞泉寺
の出城を攻めようとしたが、謙信の軍勢は、庄川の増水のため、対岸に渡ることができず、やむなく引き返してしまったといわれる。
その後天正13年(1575)に織田信長の勢力に対抗するため上杉謙信は瑞泉寺と和を結んでいる。
所在地:南砺市大谷字大平
所有・管理者:七村森林組合
指定年月日:昭和41年7月1日
八乙女山鶏塚と風穴
史跡
八乙女山の山頂近くに風穴がある。8世紀ごろ、付近の農民は毎年この風穴から大きな風が吹き、農作物に大きな被害を与えるので、越前の僧である泰澄大師に風を封じるようと頼んだ。泰澄大師はほこらを建て、風の神をしずめたと伝えられている。
また、瑞泉寺を開いた綽如も、風の神をしずめたといわれる。
風穴の近くに、やや円形の2つの塚がある。これを鶏塚と呼んでいる。この塚は元旦の朝、鶏の鳴き声がするということから、鶏塚と呼ばれるようになったと伝えられている。
所在地:南砺市大谷字大平
所有・管理者:南砺市
指定年月日:昭和41年7月1日