この宸翰は、後花園天皇が父の貞成親王にあてて、1434年ごろに書かれたものである。
手紙は、大変きれいな仮名まじりのやわらかな書体で、見た目にも美しいように散らして書かれている。
内
容は、「父貞成親王が紀伊国粉河寺の縁起を見たいと言われたので、まず3巻をお貸しします。これは、室町幕府の足利義教将軍からきたものですから、ご覧に
なったらお返しください。残りはまたお渡しいたします。また、お届けいただいたこの絵巻物5巻は、大変結構なものであります。見た後にはお返しいたしま
す。」というものである。
所在地:南砺市井波3050
所有・管理者:瑞泉寺
指定年月日:昭和13年7月4日
紙本墨書綽如上人勘進状
書跡
この勧進状は、明徳元年(1390)に沙門堯雲(綽如)が、井波に瑞泉寺を建てる旨をしたためたものである。
「井波は、自然に恵まれ、静かに学ぶにはよい所で、寺を建てるのにはふさわしいところである。ひとりでも多くの人が力を合わせて、立派な寺を建てたい。」という意味のことも書かれている。
砂金の切金箔が散りばめられた雲上紙に、堂々とした筆法で書かれ、勧進の趣旨が格調高い漢文で述べられている。
所在地:南砺市井波3050
所有・管理者:瑞泉寺
指定年月日:明治38年4月4日