岩木集落の荊波神社は前宮と奥宮があって、その奥宮の後方に前方後円墳がある。古
来、砺波地方を支配した豪族利波臣志留志の塚と伝えられている。志留志は古文書によると奈良東大寺の盧舎那仏建立に際し、米3千碩(俵)を寄贈し外従5位
下に叙せられ、更に懇田100町歩を寄進し外従5位上となり伊賀守に任じられた。その頃の越中守は大伴家持であった。志留志は、伊賀守を終え故郷であるこ
の地に帰り死去したものと考えられる。
志留志塚より発掘された出土品は、古墳時代後期の陶器(すえのうつわ)、鉄の直刀、藤原時代後期の文様をもつ白銅鏡、経筒などでこれらは同神社に収蔵されている。
所在地:南砺市岩木(荊波神社後方)
所有・管理者:岩木区長
指定年月日:昭和34年11月5日
猛虎図
絵画
岸派の創始者岸駒の60歳、文化5年(1808)の作と伝えられる。欅の一枚板に、
右上部を少し残して金箔砂子を置き、刻むような筆致の水墨のたけだしい虎を雄渾に描いた傑作である。彼が修行時代に逗留した折り、石崎善右衛門に請われ武
者絵を描いて宇佐八幡宮に奉納した。しかし、年月を経て破損が激しくなったので、当時円山応挙と並び称せられ円熟期を迎えていた岸駒に再度お願いをし描き
替えられたのが現在の「猛虎図」である。
所在地:南砺市福光6865
所有・管理者:福光宇佐八幡宮
指定年月日:昭和49年6月8日