人母シモヤマ遺跡
遺跡・遺物
人母のシモヤマ地内にある旧石器時代及び縄文時代早期・中期・晩期の複合遺跡である。本県でも数少ない縄文時代早期(1万年〜8000年前)の楕円押型文土器が発見された著名な遺跡である。
遺物は土器のほか石器も豊富に出土し総数三百点を超える。ナイフ形石器や彫刀形石器など注目すべき旧石器時代の遺物が出土している。
所在地:南砺市人母
所有・管理者:人母区長
指定年月日:昭和37年9月21日
次郎右衛門堂
史跡
石標に応永13年(1406)10月太政大臣関白伊東次郎右衛門堂がこの地で死去したと刻まれている。
南北朝鮮時代に後醍醐天皇側の藤原氏の末裔といわれ、後にこの地に定住し、太美郷、山田郷の開拓に貢献したとされる。子孫は寛文4年(1664)以来、十
村を勤めた大西の伊東家である。この党は祖先を祀ったものと思われ、方形石組はその類例を室町時代前半期の香城寺古宮に求めることができる。周辺は昭和
45年からの立野ヶ原地区総合パイロット事業により丘陵が平坦地に一変してしまった。
所在地:南砺市立野原646
所有・管理者:東太美地区
指定年月日:平成7年2月1日