史跡
岩木集落の荊波神社は前宮と奥宮があって、その奥宮の後方に前方後円墳がある。古
来、砺波地方を支配した豪族利波臣志留志の塚と伝えられている。志留志は古文書によると奈良東大寺の盧舎那仏建立に際し、米3,000俵を寄贈し外従五位
下に叙せられ、更に墾田100町歩を寄進し外従五位上となり伊賀守に任ぜられた。
志留志塚より発掘された出土品は、同神社に収蔵されている。
所在地:南砺市岩木 荊波神社後方
所有・管理者:岩木地区
指定年月日:昭和34年11月5日
史跡
縄文中期(6,000〜4,000年前)の遺跡で、かなり規模の大きい集落があったものと推定されている。
土器は華やかな生活様式を反映し、口縁部に鮮やかな火炎文様が施されている。厚手で多様な文様が多いことは、縄文中期の特色がよく表れている。
土器のほか主な遺物として、土偶・石棒が発見されている。石鏃、石斧、火きり臼、石皿などの石器も出土している。
所在地:南砺市竹林
所有・管理者:竹林地区
指定年月日:昭和37年9月21日
史跡
古来、土山には砺波山で敗れた平家方の子孫が住んだという伝承がある。文明初年には本願寺8世蓮如が、土山御坊を起こし次男の蓮乗を住職とした。御坊はその後、高木場、安養寺を経て、伏木に移り勝興寺として栄えている。
御坊跡には、蓮如が造作したという庭園が復元され、蓮如が植えたと伝えられる伽藍木が生育している。
また、土山御坊の近くには、天正11年(1584)のころ、佐々成政が築城したという御峰城跡がある。
所在地:南砺市土山
所有・管理者:土山地区
指定年月日:昭和36年8月30日