史跡
岩安集落の善法寺島に木造の祠があり、中には菩薩像を彫刻した板碑が一基祀られている。
この側面に、「善法寺法印之墓、文明2年4月20日」とあり、石清水八幡宮の社僧で蟹谷石黒荘内の雑掌(管理者)として、この地に下向していたことが分かる。
山城国石清水八幡宮の文書には、「長禄3年(1459)十一月十日将軍足利義就をして石清水八幡宮領を雑掌善法寺法印阿子々丸に居所を安堵した」という記録がある。
所在地:南砺市岩安
所有・管理者:岩安地区
指定年月日:昭和36年8月30日
史跡
石標に応永13年(1406)10月太政大臣関白伊東次郎右衛門堂がこの地で死去したと刻まれている。
南北朝鮮時代に後醍醐天皇側の藤原氏の末裔といわれ、後にこの地に定住し、太美郷、山田郷の開拓に貢献したとされる。子孫は寛文4年(1664)以来、十
村を勤めた大西の伊東家である。この党は祖先を祀ったものと思われ、方形石組はその類例を室町時代前半期の香城寺古宮に求めることができる。周辺は昭和
45年からの立野ヶ原地区総合パイロット事業により丘陵が平坦地に一変してしまった。
所在地:南砺市立野原646
所有・管理者:東太美地区
指定年月日:平成7年2月1日
時衆(宗)二祖他阿真教(たあしんきょう)により教化された吉江道場盧阿弥陀仏(ろ
あみだぶつ)が田中(仏道寺)集落に仏土寺を建立し、時衆(宗)を広めた。また遊部集落にも時衆(宗)徒がおり、やがて蓮如上人の教化により、講組織を中
心として念仏道場へと姿を変えていった。裳無衣(もなしごろも)に里袈裟(さとげさ)姿で唄い踊った習俗は今はないが「ちょんがれ踊り」「こきりこ」「盆
供養念仏踊り」に時衆(宗)道場の踊り念仏のなごりがしのばれる。
所在地:南砺市田中
所有・管理者:田中地区
指定年月日:昭和54年12月12日