妙敬寺の庭園
広瀬舘地区
妙敬寺は、真宗本願寺五世簸ろ綽如上人ゆかりの井波瑞泉寺の親戚寺として、西の堂と称し親しまれてきた。また、本願寺親戚寺103ヶ寺のうちに数えられている。
寺の後ろ側に広がる庭園は、室町時代の様式を備えた古い庭で造園者は不詳とされているが、極楽浄土を現したものと伝えられている。
庭園の後方には、本願寺八世蓮如上人の第九女了如尼を祀つた廟所がある。
所在地:南砺市舘
所有・管理者:妙敬寺
山本城趾
広瀬地区
東、南、北の三方は崖になっており、西方には館とのろし用の薪小屋と、南朝方の古田五左衛門が建立した八幡宮があって、土塁で境をしていた。南方200メートルを離れて馬場と墓地があった。
八幡太郎源義家の頃から築城され、南北朝の時代には南朝方の拠点となり、その後、佐々成政の家臣,山本志摩守が住んでいたという。利波臣志留志の後裔で石黒宗五郎が統括していたなどの記録がる。
前田藩になって廃城となり、八幡宮は西の山中へ移され今日に至っている。
所在地:福光町山本
所有・管理者:山本地区