高楯城跡
石黒地区
平安後期から室町中期にかけて(1086〜1477年)砺波地方を支配した豪族石黒氏は、最初この地に住んだ。
鎮守府将軍藤原利仁の後裔といい、また、利波臣志留志の流れをくむと伝えられる石黒五郎為輔より四代、ここに城を構えたが、五代目左兵衛光弘は福光に城を移し栄えた。砺波山(倶利伽藍)の合戦にも参加し活躍している。
隣の八幡村に「団」(武士団の居館)、定龍寺村に「新町」、川合田村に「長町」という地名が残っているが、当時、城を中心に栄えた跡と思われる。
所在地:南砺市福光(西勝寺)
川合田館跡
石黒地区
「三国志」によると、戦国時代(1500〜1572年)に雑賀安芸守が拠る川合田城があり、元亀年代(1570〜1573年)に越後の上杉謙信に攻略されたとある。
宝暦14年(1764年)古城跡等調べによると、城郭は東西30間余、南北25間余で幅5間ほどの堀池あったと記されている。
この城は、戦争に対応するばかりではなく、学問所として地元の住人に開放された。
明治になってから、ここに石黒小学校が建てられていたが、学校統合により廃居となり、現在、石黒地区公民館が建設されている。
所在地:南砺市福光(川西)
所有・管理者:石黒地区