蓮如上人腰掛石・座像石・虎石
南蟹谷地区
文明3年〔1471年〕真宗本願寺八世蓮如は、加賀国二俣より蟹谷郷を巡錫されるが、その折に、高窪の豪族大笹久兵衛家に逗留され布教された。その折に、腰をおろして休まれたと伝えられる腰掛石、虎の模様をもつ石は大変上人が愛用された石という。
また、上人が立ち去られるのを蟹谷地方の住民が大変哀しんだところ、大笹家の庭にある石を指して、あの石を蓮如だと思ってほしいといって去って行かれた。これが座像石である。
これらの石は、現在、大笹家に保存されている。
所在地:福光町高窪
所有・管理者:大笹 健
高木場御坊跡
南蟹谷地区
本願寺八世蓮如の四男蓮誓〔康兼〕が居住する土山御坊は霧深きところとて、明応3年
〔1494年〕土山よりこの地高木場〔高窪〕に移る。当住持には蓮誓の次男実玄〔兼芸〕であった。本願寺九世実如から勝興寺の寺号付与され、山号は土山御
坊の祖、蓮乗〔兼鎮〕が蓮如の雲龍碩を譲り受け霊異があることから雲龍山と号した。
永正16年〔1519年〕2月出火し、堂宇灰燼に帰す。一説に、木船城主石黒左近の軍勢が攻め寄り、火を放つともいう。よって実玄は末友安養寺に仏閣を再興する。
しかるに、天正九年〔1581年〕石黒左近将監道之の夜襲を受け焼亡する。天正十二年〔1584年〕佐々成政から伏木国府の地を寄進され、再興して今日にいたっている。
所在地:福光町高窪