瓢箪池
山田地区
平安時代中期(895〜1085年)の武将、俵藤太秀郷は、朝廷より越中国巡察使を
仰せつかり、近江国三上山に巣食う大百足を大蛇の要請で退治した。そのお礼として、大蛇から譲り受けた大蛇の子を瓢箪に入れ、越前、加賀を経て鎌中道を通
り、越中川上の郷に入り、水の最も不足する蓑谷へと向かったが、その途中この池で瓢箪の水を替えたという。
やがて、藤太は蓑谷の山へ大蛇の子を放し縄ヶ池を造るが、この池は、どんな日照りが続く年でも水が涸れることなく流れている。池は誰言うとなく瓢箪池、流れる川を瓢箪川と称し親しまれている。
また、俵 藤太は京に帰り藤原の姓を賜り、藤原藤太秀郷として平将門の乱(940年)を鎮定し、下野国、武蔵国を与えられた武将である。
所在地:南砺市天池
所有・管理者:天池地区
尹良王の塚
山田地区
南北朝時代後醍醐天皇の第八皇子宗良親王は、南朝方に協力するよう北陸方面を巡られたが、その巡行に親王の御子尹良も同行されていた。そして、この地で死去され葬られた塚という。なお、宗良親王の弟君に当たられる恒性皇子も高岡市二塚で死去され葬られている。
この大塚集落は、以前王塚村とされていたが、不敬に当たると大塚村に改めた経緯があるという。
所在地:南砺市大塚
所有・管理者:大塚地区