高木場御坊跡
南蟹谷地区
本願寺八世蓮如の四男蓮誓〔康兼〕が居住する土山御坊は霧深きところとて、明応3年〔1494年〕土山より
この地高木場〔高窪〕に移る。当住持には蓮誓の次男実玄〔兼芸〕であった。本願寺九世実如から勝興寺の寺号付与され、山号は土山御坊の祖、蓮乗〔兼鎮〕が
蓮如の雲龍碩を譲り受け霊異があることから雲龍山と号した。
永正16年〔1519年〕2月出火し、堂宇灰燼に帰す。一説に、木船城主石黒左近の軍勢が攻め寄り、火を放つともいう。よって実玄は末友安養寺に仏閣を再興する。
しかるに、天正九年〔1581年〕石黒左近将監道之の夜襲を受け焼亡する。天正十二年〔1584年〕佐々成政から伏木国府の地を寄進され、再興して今日にいたっている。
所在地:福光町高窪