善徳寺跡
広瀬地区
本願寺5世綽如上人の後裔蓮真は、8世綽如上人の導きを得て砂子坂に道場を開いた。その子実円は延徳元年(1489年)山本の地に定住し、善徳寺の寺号を本願寺より受ける。
あとを継いだ円勝は、天正10年(1541年)福光に移り、その子祐勝によって、さらに城端の豪族荒木大膳の居城に移る。
善徳寺は、その後、砺波地方の真宗大谷派の触れ頭寺として活躍する。(やがて井波瑞泉寺も大谷派に転派したため、触れ頭は隔月ごとに交互に行うことになった)
現在、寺跡の後方の小高き丘の上に墓地がある。
所在地:福光町山本
所有・管理者:善徳寺