猛虎図
絵画
岸派の創始者岸駒の60歳、文化5年(1808)の作と伝えられる。欅の一枚板に、
右上部を少し残して金箔砂子を置き、刻むような筆致の水墨のたけだしい虎を雄渾に描いた傑作である。彼が修行時代に逗留した折り、石崎善右衛門に請われ武
者絵を描いて宇佐八幡宮に奉納した。しかし、年月を経て破損が激しくなったので、当時円山応挙と並び称せられ円熟期を迎えていた岸駒に再度お願いをし描き
替えられたのが現在の「猛虎図」である。
所在地:南砺市福光6865
所有・管理者:福光宇佐八幡宮
指定年月日:昭和49年6月8日
白孔雀
絵画
加賀藩政期に十村を勤めた石崎家の子孫である石崎和善の五男として明治17年
(1884)に福光で生まれ、本名を猪四一という。金沢の山本光一、京都の竹内栖鳳に師事、大正元年(1912)文部省美術展覧会に入選、以来昭和18年
(1943)まで26回出品、京都絵画専門学校教授などを勤める。
氏の大作で有名なのは、高野山金剛峰寺の襖絵「虹雉」である。宇佐八幡宮に奉納されている白孔雀の扁額は、大正11年(1922)帝展に出品した大作である。
また光瑤は、山岳登山家としても有名であった。福光美術館にも画伯の代表作「燦雨」をふくめ、多くの作品が収蔵されている。
所在地:南砺市福光6865
所有・管理者:福光宇佐八幡宮
指定年月日:昭和49年6月8日