史跡
八乙女山の山頂近くに風穴がある。8世紀ごろ、付近の農民は毎年この風穴から大きな風が吹き、農作物に大きな被害を与えるので、越前の僧である泰澄大師に風を封じるようと頼んだ。泰澄大師はほこらを建て、風の神をしずめたと伝えられている。
また、瑞泉寺を開いた綽如も、風の神をしずめたといわれる。
風穴の近くに、やや円形の2つの塚がある。これを鶏塚と呼んでいる。この塚は元旦の朝、鶏の鳴き声がするということから、鶏塚と呼ばれるようになったと伝えられている。
所在地:南砺市大谷字大平
所有・管理者:南砺市
指定年月日:昭和41年7月1日
史跡
杉谷の地は、瑞泉寺を開いた綽如上人が、浄土真宗の教えを広めるために最初に住んだところとされている。
杉谷峠は、井波と五箇山利賀谷との物資の交流の道としての役割を持っていた。江戸時代には、五箇山の経済を支えたまゆが運ばれ平地からの物資を五箇山へ運ぶ通り道として重要な役目えを果たしてきた峠であった。
その峠道のそばには、大きくそびえる杉の木が立っている。
所在地:南砺市井波外四入会字大橋平
所有・管理者:南砺市
指定年月日:昭和41年7月1日
史跡
瑞泉寺の東側に、土塁で囲まれた井波城址がある。
15世紀の中ごろ、瑞泉
寺3代蓮乗が、戦乱の世から寺を守ろうとして、周囲に堀をつくったところである。しかし、天正9年(1581)、瑞泉寺は、越中の守護代佐々成政に攻めら
れ、成政の武将前野小兵衛の手に移った。まもなく、1585年に豊臣秀吉が越中征伐をしたとき、前田利家によって攻められ、ついには廃城となってしまっ
た。
今は、井波八幡宮や井波招魂社が建てられ、また、古城公園となっている。
所在地:南砺市松島東島188
所有・管理者:南砺市
指定年月日:昭和30年7月