産子塚
北山田地区
戦国争乱の頃(1500〜1571)宗守城は上杉勢に攻められて落城、城主藤井嘉兵衛は戦死、その妻いちは
臨月だったが、長男とともに脱出、家来の畑六郎左衛門の家(是安)で出産したが、敵の探索は厳しく再び宗守に戻った。ここでも敵兵の追及にあい、もはやこ
れまでと生まれたばかりの赤子を地中に埋めて逃れようとしたが、それもかなわず村外れで自害したという。(姫塚)
やがて、赤子の埋められたあたりから、雨風の強い日など赤子の泣き声が聞かれたとか。村人はかわいそうになり、大小2個の石を並べて塚をつくり弔うことにしたと伝えられている。
長男は逃げ延び中野(砺波市)の開祖藤井小右衛門という。
所在地:南砺市宗守
所有・管理者:宗守地区