鍛冶 板石塔婆(板碑)
北山田地区
33塚の1体で、鍛冶村開拓時に田圃から出土したものである。板石塔婆は板碑ともいい板状の石を用いた卒塔
婆の一種として発生した供養塔であり、鎌倉時代に急速に全国に普及した。板石の頭部を山形とし、その下に二条の切り込みを加工し、2条線の下に梵字などが
刻まれている。鍛冶塔は、高さ33センチメートル、幅21センチメートル、の扁平な板碑であるが、正面上部にはバン(金剛界大日如来)を刻み、右側には
「大永6年(1526年)7月」、左側には
「二四日」と読める。
バンの下にも何か刻んであるが判然としない。砺波地方唯一の銘文のある板碑といわれている。造立推定期は室町時代後期。なお、鍛冶神明社の御神体として同種の板碑が祀られている。
所在地:南砺市鍛冶
所有・管理者:鍛冶地区