一つ松紋兵衛の碑
福光地区
この石碑は、明治の後期に地方相撲で活躍した吉田紋兵衛氏の碑である。蔵原の農家に生まれ、若い頃より相撲を愛し、砺波地方角力の頭取であった。一つ松は四股名である。
明治後期の越中は力士王国とまでいわれ、横綱に昇進した梅ヶ谷藤吉郎(36年 20代)、太刀山(44年 23代)、関脇の玉椿、小結の緑島、前頭の黒瀬川、寒卵子、十両に太刀の首、敷島、山田川の9人を数え、江戸相撲は越中の力士で独占した観があったという。
越中の草相撲も、その影響を受けて隆盛を極め、一つ松紋兵衛も力士として、越中相撲協会の発展に貢献し、大正2年63歳で死去する。ここに、生前の遺徳をしのび、大正4年同士が建立したものである。碑文は吉波彦作先生による。
所在地:南砺市福光(西町)
所有・管理者:福光町