知源寺の石垣
福光地区
この石垣は、平安末期から鎌倉期を経て室町中期のおよそ300年余り栄えた福光城郭の一部で、
その後、何回か積み替えた形跡がある。宝暦14年(1764年)の砺波郡史古城蹟調査書によると、「字は右京亮と称し、土居が東西27間程、南北10間程あった。今はわずかに高きこと9尺ばかりに、方2間余が平田中に残存す」とある。
現在の知源寺は善徳寺が天文年中(1554年)石黒氏の廃城となった跡へ山本の里から移ったが、
その後さらに、城端へ移った跡に善徳寺掛所として残り、現在知源寺として栄えている。
福光城は西の高土居(上江用水の近く)栄町、本町、中央通りを外濠とし、内部に御蔵(福光保育所)、若党屋敷として山谷勘右衛門屋敷、大坪屋敷の地名が残っており、その内部に栖霞園がある。
所在地:南砺市福光町(五宝町)
所有・管理者:知源寺