羽柴秀吉 斉藤刑部宛書簡
書跡
斉藤刑部丞は上田石見守らと共に瑞泉寺に拠って越中一向一揆を指導していた。織田信長が本能寺で横死する と、佐々成政は中央で次第に有力な地位を占めつつある羽柴秀吉を快としなかった。そのため秀吉は天正11年(1583)上杉景勝と和を結び、成政や越前の 柴田勝家、加賀の佐久間盛政らを牽制し、また一向宗徒とも結び、瑞泉寺に一揆を起こすことを勧めた。此の書簡はその折の秀吉の親書である。
書跡
斉藤刑部丞は上田石見守らと共に瑞泉寺に拠って越中一向一揆を指導していた。織田信長が本能寺で横死する と、佐々成政は中央で次第に有力な地位を占めつつある羽柴秀吉を快としなかった。そのため秀吉は天正11年(1583)上杉景勝と和を結び、成政や越前の 柴田勝家、加賀の佐久間盛政らを牽制し、また一向宗徒とも結び、瑞泉寺に一揆を起こすことを勧めた。此の書簡はその折の秀吉の親書である。