浪化上人司晨楼之記
書跡
この司晨楼之記は、元禄7年(1695)の秋に、瑞泉寺11代浪化上人が書いたものである。この文には、「瑞泉寺の太鼓堂を、友達と歌を読み楽しむところとし、ここを司晨楼と名付けることにする」と書かれている。
司晨とは、朝早く太鼓を打ち鳴らし、眠っている人々を起こして、お寺参りにくることをすすめるという意味である。
浪化上人は、俳諧の祖と言われる。
所在地:南砺市井波3050
所有・管理者:瑞泉寺
指定年月日:昭和41年7月1日
書跡
この司晨楼之記は、元禄7年(1695)の秋に、瑞泉寺11代浪化上人が書いたものである。この文には、「瑞泉寺の太鼓堂を、友達と歌を読み楽しむところとし、ここを司晨楼と名付けることにする」と書かれている。
司晨とは、朝早く太鼓を打ち鳴らし、眠っている人々を起こして、お寺参りにくることをすすめるという意味である。
浪化上人は、俳諧の祖と言われる。
所在地:南砺市井波3050
所有・管理者:瑞泉寺
指定年月日:昭和41年7月1日