一番山 出丸町 唐子山
一番山 唐子山


庵唄:(上方端唄系)端唄の代表曲として有名であるが、安政四年(1857年)の「花哇一夕話」(歌沢能六斉著)に、最初歌舞伎狂言「鏡山」岩藤の場の下座に使われた上方唄と記されている。
後に江戸端唄として洗練された曲調となり、殊に江戸とは関係の深い隅田川の風景なので流行した。元唄は「あれ鳥がなく鳥の名も、都といふ字があるわいな」であった。待乳山は隅田川の左岸にあって、古くは松山との由。