史跡
大野権兵衛は、中村の旧家「おや」の先祖で、平家の落武者と伝えられ、麦屋節や五箇
山追分節の囃にも唄われてきている。この塚は、その墓と伝えられるもので、中村の中央部西山寄りに、小円墳状を呈して木立におおわれている。昔からこの塚
を掘ろうとした者は、腹痛や奇病、その他崇りを免れることがなかったと伝えられる。
所在地:南砺市利賀村上百瀬字西山123
所有・管理者:中村区長
指定年月日:昭和45年8月31日
史跡
井波に瑞泉寺を開いた本願寺5世綽如上人の旧跡と伝えられ、瑞泉寺との歴史的な関係
が深い。文明13年(1481)、越中一向一揆の際には瑞泉寺の避難地に擬され、天正9年(1581)、富山城佐々成政によって瑞泉寺が焼かれた時には、
同寺7代住職顕秀と弟准秀が、一時、身を潜めるところともなった。栃原は、廃村化してしまったが、五箇山と井波を結ぶ古い峠越えの要衝で、免4ツ8分8厘
という数値も、近辺の村々に比べて最も大きい。
所在地:南砺市利賀村栃原
所有・管理者:栃原区長
指定年月日:昭和45年8月31日
史跡
東本願寺を開いた教如上人が、戦国時代に末に再度訪れたという古い歴史をもつ寺で、
いま、真宗大谷派に属し、五谷山と号されている。石山合戦の際、五箇山一山の塩硝を本願寺へ送った功によって、時の教如上人寿像などがある。現本堂は、大
正10年(1921)の再建。鐘楼堂と山門を兼ねた鐘楼門は、五箇山と飛騨との交流を物語る貴重な建物で、飛騨の匠の作と伝えられる。楼上の梵鐘は、明和
4年(1767)9月、金沢の鋳師藤原朝臣平井但馬守伊永の作。
所在地:南砺市利賀村坂上1269
所有・管理者:西勝寺
指定年月日:昭和45年8月31日