嘉永2年(1849)〜明治24年(1891)
福光新町村に生まれる。
漢学者、地理学者。
本命は精一郎といい、西荘は「号」で幼名の荘作からとった。6歳の時に大病にかかり、不幸にも聾(耳)、唖(口)、跛(足)の三重苦の身体障害者となる。
しかし、両親の慈愛と宮永菽園らの良師に恵まれ、苦学をして学識を高める。身体障害児の教育施設「盲唖院」を金沢に創設する。(全国で4番目の特殊教育施
設)また、明治21年、金沢で最初の私学校「戊子義塾」を創設し、能力がありながら学ぶことのできない子供たちに学問の道を開いた。