芭蕉塚
史跡
城端地区の俳諧の歴史はかなり古く、萌芽期は芭蕉が越中に入る元禄2年(1689)より30〜40年ほど前
と推定される。江戸中期の俳人李夫は江戸時代全期を通じて城端が生んだ最も傑出した俳人といわれ、金沢の俳人既白に随行して西国行脚し、宝暦11年
(1761)秋、姫路で芭蕉の遺品菅蓑の毛を得た。翌12年(1762)には城国寺境内にそれを埋めて芭蕉塚を築いた。
所在地:南砺市城端85−1
所有・管理者:城国寺
指定年月日:昭和49年9月9日
史跡
城端地区の俳諧の歴史はかなり古く、萌芽期は芭蕉が越中に入る元禄2年(1689)より30〜40年ほど前
と推定される。江戸中期の俳人李夫は江戸時代全期を通じて城端が生んだ最も傑出した俳人といわれ、金沢の俳人既白に随行して西国行脚し、宝暦11年
(1761)秋、姫路で芭蕉の遺品菅蓑の毛を得た。翌12年(1762)には城国寺境内にそれを埋めて芭蕉塚を築いた。
所在地:南砺市城端85−1
所有・管理者:城国寺
指定年月日:昭和49年9月9日